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健康 悩み相談

死生観の変化

癌を告知されると、少なからず「自分は死ぬかもしれないのか?」と考える人が多いのではないかと思われる。まだ31歳だった私は未婚だし、まだまだやりたいことがあるから死ぬわけにはいかないと思った。

いつか人間は死ぬ。それは皆一緒で遅かれ早かれその時は訪れる。

入院した途端に病人になってしまうのはどうしてだろうか。

不思議だなと。病院のベッドの天井を見て模様の点々の数を数えながら外の世界とは全く違う時間が流れていることに気づく。

味気ない食事を食べてひたすら横になって過ごす。

どんどん筋肉は落ちて行って少し歩くだけで疲れる始末。

自分の癌は次から次へとやることがあったので、死ぬことを考えている暇もなかった。何より入院して一か月後には職場復帰していたのですぐに現実に引き戻された。

死生観についてだが、とにかくその日一日楽しく、悔いなく生きることが一番だなと強く思う。何事も精一杯。

ただし、ストレスはためないこと。

自分の心の声をよく聞いて、モヤモヤするようなことはしない。

自分のエゴも人に押し付けない。

死生観は人それぞれだが、何年か前に友達の義理のお父様の癌の相談にのった時のこと。

すい臓がん末期であったが、私が出会った温熱機器を四六時中使うと抗がん剤の副作用が緩和され、必死に使えば使うほど命を落とさずに延命できると信じて使い始めたが、本人より家族の想いで温熱機器を使ったので肝心の本人の生きる気力がかなり低下していた。

病気を治すのはあくまでも本人の強い意思があるのが大前提。

まだその方は60代後半で若かったが、人生において色々なことを達成してしまっていた。家族、金銭的、人生の目標など満足いく結果を出していたのだ。むしろ自分が末期がんになったことによってそれぞれの生活が忙しくバラバラになっていた家族が毎日病室に通って時には泊まってくれて、それはまた幸せな時間を過ごしていたようだ。

ここで自分の癌が治ってしまったら、またそれぞれ自由に生きていくことになり、病気をして毎日家族に心配されて人生を終えてしまう方が幸せだと思ったのかもしれない。

本人の意思で温熱機器を充てるのを途中でやめたのである。

それからはあっという間に肺に水が溜まり静かにあの世に旅立ったと聞いて、色々な死生観があるなと感じた。

自分なら可能性のあるものであれば、あれやこれや試して悔いなく死んで行くんだろうなと。しかし身体がしんどくてメンタルも落ちて全身に痛みが走っていたらとにかく楽になりたいと思うのかなと思う。

その後も次から次へと癌の相談にのることになる。

今日はここまで。

おやすみなさい。